フォトパドックって難しい

皐月賞2025

よく言われるのが「パドックをみても何も分からん」みたいな話で、一方で横じゃなくて縦の比較が大事なんだという意見もある。いつも落ち着いている馬がイレこんでたらおかしいよね、という話で、ただそれも実際の競馬場かグリーンチャンネルの各競馬場画面でジックリ見続けるしかない。その時だけ(テレビに写った瞬間だけ)イレこんでたなんて可能性もある。個人的には前肢の柔らかさ=運びが滑らか、柔軟性があるかを見るようにしている。意外と変化が出やすい、分かりやすい部分な気がする。

もっと難しいのが返し馬で、例えば福永現調教師は「走り出す時にちゃんと騎手の合図で動いてるか」みたいなことを言ってたりする。まあそれはそうで、要は騎手と喧嘩していたらよほど実力が抜けていない限りは勝てるものも勝てない。例えばイクイノックスがあれだけ強かったのは、C.ルメールが彼を手の内に入れていたのが大きくて、「ポニー」だとか言われたり若い頃のひ弱さのエピソードが語られやすい馬だが、あの速さを見ているとコロッと狂気の側に転んだとしてもおかしくなかった、と思ってたりする。武豊&ディープインパクトのような、その騎手じゃないと無理な名コンビだった。ルメールは難しい馬を難しくないように見せる天才かもしれない。

話を戻すと、確かに返し馬でグワングワンしてる馬はいる(直近だと大阪杯のデシエルトとか)。そういう分かりやすいのだったらいいんだけど、大抵の馬―特に重賞級―はちゃんと人間の言う事を聞けている。だから、「パドック」も「返し馬」もつまるところ縦の比較をすべきであり、減点方式で見る必要があるんだろう。いまパッと思いついたのはウシュバテソーロのパドックで、独特の首を下げるポーズは高木師曰く集中している状態だ。横の比較をしているとネタになっちゃうのだが、むしろそれを知ると仮にウシュバテソーロが「良いパドック」だったらおかしいということになる(正確にいえば、それでも当然好走する可能性はある)。結局彼はそれで好走し続けたわけで、とにかく労力は大きいが縦で見るしか無いし、出来ないんだったら逆に見なくてもいいんだよな、というのが自分のなかでの落とし所になっている。

で、タイトルの「フォトパドック」である。多分フォトパドックで有名なのは細江さんか、イクイノックスを屋久杉と表現したうえで200点をつけて話題になった鈴木康弘元調教師の「達眼」かな。前者は過不足のない評価をしてくれるし、後者は好みが合うなら文量が多くて楽しいかもしれない、一番手評価に対してのみだけど。たまに文章について文句も言われているけど、いやそんな厳しく言わんでも、と思う。

で、なにが難しいかというと「10日くらい前の写真」であることと、「ライティングが一定でない」こと。例えば皐月賞なら撮影されているのは4月9日くらい。そこから直前追い切りや輸送なども含めて変化した馬体はパドックで確認することになるが、そこで印象が更新されるのならフォトパドックを見る意味とは果たして……となる。まあこれは「レースまであと10日ですよ!」ということで、みんなが段々と予想に真剣になるキッカケとして機能しているんだと思う。

ただライティングの面はもうちょっと気にして欲しかったりする。当たり前だが陽光に照らされれば陰影はクッキリと出て、筋肉のメリハリがよく見える。曇りならばその逆だ。また、これはどうしようもないけど一番よく見えるのは栗毛や鹿毛なのだ。どうしても芦毛は判断が難しい(パドックも同じく)。だからこそライティングだけは統一して人工的な環境の中でやって欲しいんだよなあ、と思うけど、馬にとってはそれもまた負担になるし、フォトパドックはやはり予想のキッカケとして、みんなであーだこーだ言いながら楽しむものなのだろう。

ちなみにフォトパドックでいいなあと思ったのはファウストラーゼン。結局陽光に照らされた鹿毛の馬になってしまった。他馬より筋肉が大きく、カットも多めに入ってるように見えませんかね?なお、鈴木康弘元調教師的には85点の模様で、細江さんはかなり褒めている部類でした。

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